怪談[ 閲覧注意 / DEADLY RECORD ]

日没にこの人形の髪を梳いてはならない

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どうも、死にぞこないです。

今回お話しするのは、私の知人であり、当時2ちゃんねるのオカルト板で名を馳せていた呪物コレクター「人でなしシンドローム」氏から提供された、2000年代前半の体験談だ。

同時にこれは、「人でなしシンドローム」氏引退の真相エピソードでもある。

2000年代前半、ヤフオクなどのネットオークションが普及し始めた頃、彼は怪しげな骨董品や曰く付きの品を片っ端から落札し、自室に陳列するという日常を送っていた。

ただ、普通の人からすれば、悪趣味極まりない。

オカルト好きな俺としても、実用性がなく呪物としての真偽も定かではない大量のグッズで部屋を埋めるというのは、ちょっと共感しづらい部分がある。

だが「人でなしシンドローム」氏にとってはライフワークだった。

そんな彼がある時手に入れたのが、古い桐箱に納められた市松人形。

出品時の説明欄には、奇妙なルールが書かれていたという。

「日没に、この人形の髪を梳いてはならない」

その人形の髪は造り物ではなく、本物の人間の髪だった。

それ自体は珍しいことじゃない。

市松人形をはじめとした日本人形では、より自然な質感を実現するため、実際の人毛を用いるのだ。

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ただ、「人でなしシンドローム」氏が手に入れたこの人形は、とあるいわくを持っていた。

それは、『「十九」歳の女性の髪だけで作られた』というもの。

年齢に何の意味があるのかと思ったかもしれない。

ただ、日本の民間信仰においては意味がある。

この年齢は、女性の「本厄」なのだ。

現在でも、厄年を信じている人はかなりの数存在する。

というのも、人生の転機や生活環境が変わりやすい時期が「厄年」とされているので、実際に災難や病気、不調などの災厄が降りかかりやすい年齢だからだ。

生活習慣や生活環境が変われば、当然、これまでの生活から事故や病気の確率も変化する。

つまり、信じるかどうかはさておき、厄年は生きている上での「隙間」のような年齢といえるだろう。

ちなみに、「人でなしシンドローム」氏は呪物を集めてはいるが、圧倒的に「信じない側」の人間だった。

じゃあなんで呪物を収集しているのかといえば、それが氏にとってのエンタメだから。

マンガやゲームがどんなに大好きであっても、マンガやゲームの世界が本当に存在しているとは思わないだろう。

それと同じで、「人でなしシンドローム」氏にとって呪物が本物かどうかはどうでもよく、呪物の見た目やいわくによってドキドキ感を味わえるかどうかが大切だったのだ。

だから、当然のように氏は、自ら進んで禁忌を侵すことにした。

夕暮れ。彼はカメラスタンドにビデオカメラをセットし、西日が差し込む薄暗い自室で、100均で買ってきたプラスチックの櫛を人形の黒髪に入れたという。

異変は、最初の櫛目を下ろした瞬間に起きた。

ヂヂヂ、ヂ、ヂヂ…ヂヂ…ッ

あきらかに乾いた髪を梳く音ではない。

生きた昆虫の腹をつかみ、力任せに押し潰したときのような、不快な音が部屋に響いた。

「おや?」と思い、彼がもう一度櫛を入れた直後だった。

ズルルッ……ベチャッ……

櫛の先から、どす黒く濁った油のような液体が溢れ出したという。

驚いた氏は櫛を手放そうとしたが、遅かった。

ニュチャ……ヌルリ……

人形の髪の毛が、まるで黒い寄生虫だったかのように蠢き始め、彼の手首から腕へと、隙間なくびっしりと巻き付いてきたのだそうだ。

それは生温かく、ひどく湿っていたという。

ゾワァッと全身の毛穴が開き、強烈な生理的嫌悪感で振りほどこうとしたが、振りほどけない。

髪は氏の腕を伝い、氏の頭部へと迫ってくる。

氏が覚えているのはそこまでらしい。

次に気が付いたとき、氏はそのまま自室の床に倒れ込んでいた。

床には氏が吐いたものか、それとも人形から流れ出たものかはわからないが吐瀉物にまみこれおり、氏の顔は吐瀉物と涙でグチャグチャだったという。

後日、人でなしシンドローム氏はネットで拝み屋を探し、人形をはじめとした呪物コレクションを全部引き取ってもらったそうだ。

拝み屋には、相当激しく怒られたらしく、氏は掲示板のテキストでもわかるレベルで凹んでいた。

これが、「人でなしシンドローム」氏引退の顛末だ。

死にぞこないメモ

これはオレの憶測にすぎないが、恐らく人でなしシンドローム氏が入手した人形は、もともとは呪物として作り出されたものではないのだろう。

なぜ、厄年の女性の髪だけで人形を作るのか……きっとその理由は、供養だったのではないかと思うのだ。

現代でも厄除けのためにお参りをしたり、祈祷をしたりといったことは当たり前に行われている。

厄除けのために、厄の象徴である髪を切り離す。

そして、厄の依り代としての人形に植えて処分する……厄を人型の紙に移して流すという儀式があることを考えると、この仮説はある程度信ぴょう性があるはずだ。

ただ、厄を集中させた人形は、使い方によっては呪物になりえる。

だから、人形ができた後、呪物として使われたのではないだろうか。

その結果人形は、現代まで処分されることなく、残されることとなった。

ちなみに、日没は「逢魔が時」と呼ばれるタイミングだ。

昼には明確に見えていた風景は、日が落ちることでおぼろげになっていく。

つまり、此岸と彼岸の境界が曖昧になり、魔と遭遇する時間帯ということだ。

そんな時間に、人生の境界である「厄年」の厄を集中させた物を用いたら……?

そう考えると、「人でなしシンドローム」氏の体験も、あり得るかもしれないと思う。

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洒落怖系怪談を投稿していた怪談師。 怪談を負い過ぎてるから、多分、そのうち祟りで死ぬ。 でも生きてるから、死にぞこない。 ごめん、かっこつけた。 …本当は、ユーザー名を 42って取得しようとしたのに、 ミスって41って入力したから。 42になりそこねた42ぞこない。

※この怪談は、かつて2ちゃんねる等のオカルト掲示板に投稿された内容を管理人がアーカイブしたものです。
記事内容に関連する不可解な体験について、管理人は責任を負いません。